日本代表の挑戦・日本vsコートジボワールからわかる日本代表の実力

真実は時に残酷である。だが、それを僕らは受け入れなければならない。受け入れることが強さに繋がる。僕のやってきたことは日本代表の試合を通常と逆の時間系列で見ていくことである。それは、コートジボワール戦での疑問に答えるためであった。多くの謎がそこにはあった。その全てに答えることはできないかもしれない。でもその一部には答ることができるだろう。

時間に逆らって試合を検証することで見えてきたものがある。それは僕らが思っていたものと少し違った。

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ここまで書いてきたザックジャパンの長所をまとめてみよう。
①中央を強引にこじ開ける縦に早い速攻
センターバックを使ったビルドアップからのサイド攻撃
③ハイプレスからのショートカウンター

①~③はセットで解釈する。チームとしては縦に早い速攻を目指す。本田や香川等の狭いスペースで活きる選手達の長所を発揮できる戦い方だ。だが、それだけではカウンターの餌食になる。中央を閉ざされたらサイドアタックである。センターバックをビルドアップに使うことで、サイドバックボランチが高い位置でボールを受けることができる。サイドの数的優位を利用して相手のサイドバックの裏を狙う。そして、ボールを奪われたら高い位置からの連動したプレッシングでボールを奪う。ボールを奪ったらショートカウンターである。なるべく早く縦に展開することで、相手のゴールに迫る。こう見ていくと、なかなか利にかなっているではないか。①~③の攻撃サイクルがしっかりできている。逆に言えばどれか1つでも上手くいかなくなると機能しなくなる。そして、コートジボワール戦では何一つ機能しなかった。

鍵になりそうなのは、前半の15分の攻防だ。生観戦時にたまたまその部分を見逃していた。僕は大切なことを見落としていたのだ。

■ヤヤトゥーレの証言からわかるコートジボワールの狙い
「日本代表をなめてかかってはいけないことはわかってたよ。~中略~こちらとしては日本選手の運動量にいかに対抗していくかが肝になっていた。」
「日本の試合は、映像を何度も研究したよ。監督のラムシは、日本の選手がタイトなスペースでボールをキープするのがいかにうまいかを説明してくれたんだ。だから、僕たちはチーム全体でプレスをかけ、そのスペース自体を押し潰すことを狙った。」
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ヤヤトゥーレの言葉通り、コートジボワールは最終ラインをハーフライン付近に設定し、中央のスペースを無くす戦い方を選んだ。
長友から香川。香川から中央へ。ボールを奪われてヤヤトゥーレ。そこからカルーへのカウンターを繋がれる。ここから日本はカウンターのリスクマネージメントを考え始める。裏のスペースに走られるのは怖い。だったらハーフライン付近からディフェンスをしようと。これはあるいはザッケローニの指示通りだったのかもしれない。しかし、ボランチであるティオテがサイドのスペースに下りていくことで、香川は混乱し始める。どこからプレスを仕掛ければいいんだ。俺が行ったらオーリエが空くぞと。
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コートジボワールの長所と短所
コートジボワールの長所は、言うまでもなく個人能力である。1人で試合を決めれる選手が何人もいる。身体能力、テクニック、決定力を兼ね備えているのだ。
短所は連携部分にある。その個人能力をチームに活かしつつ、攻撃と守備を構築するようなプレーは見られなかった。連動した守備からの速攻ができない。特に攻撃陣の守備参加の面である。彼らに守備をさせることができない。構造的欠陥を抱えていたわけだ。つまりは、全体をコンパクトにまとめるような形ではなかったのだ。
そのために、彼らを守備に回すのはもったいない。どうせ守備ができないのなら前線に残って試合を決めてもらったほうが良い。そのため、両翼のカルー、ジェルビーニョは残ったまま。ヤヤトゥーレも高い位置に残ったままであった。
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コートジボワールの狙いは打ち合いである。かつてのレアルマドリードがそうだったように。4ー2で守ってカウンターである。当時のレアルマドリードがそうだったように弱点も全く一緒である。懐かしのクリスティアーノロナウドロナウジーニョ問題である。サイドバックサイドハーフの間のスペースを狙え!ってやつだ。彼らの攻撃力を防ぐ手っ取り早い方法が彼らに守備をさせることだ。そのために、サイドで数的優位を作って攻撃することが望ましい。もし、下がって来なければ完全な切りあいになる。つまりは、ジェルビーニョに守備をしなければいけないと思わせる危険な攻撃が必須条件である。しかし、そんな場面は見られなかった。

■日本が取るべきだった戦い方
コートジボワールがラインを高く上げて押し潰すされた日本。そこですべきことはボールを前線に運び、ラインを高く取ることだった。
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ギリシャ戦でも見たように、サイドアタックの意味はボールを運ぶことである。相手を押し込めるためにもサイドのスペースを使うべきであった。一度ラインを下げてしまえば、コートジボワールがそこから細かいパスワークで日本のプレスを掻い潜るのは困難だからだ。それこそがコートジボワールの組織を破壊できる唯一のチャンスだったのだ。しかし、日本は無謀な中央突破に拘り続けた。コートジボワールの狙いは正にそこであった。中央のスペースを押し潰すこと。日本にボールを回すスペースを与えないことである。
なぜ、中央に拘るのか?同じような傾向はギリシャ戦でも見られた。ここが僕たちが見逃してきたことであり、放置していたことである。ザッケローニがやりたいサッカーと日本人の選手たちのやりたいサッカーであまりに差があるのではないか?
中央の狭いスペースでボールを繋ぐことは、果たして正しいことなのだろうか。
■本田の証言からわかるザッケローニとのズレ

日本代表の中心選手である本田はこう証言する。
「すり合わせを行ってきたのは、例えばつなぐ部分。シンプルな言い方ですが、監督はもともと、自身の国、リーグで指揮を執られていて、日本の“回しながら相手のゴールに迫っていくという感覚”というもの(に対する理解)は最初はなかったと思っています。ただ、そこの考えについては、良い意味でギャップがあって当然です。だから、もっとつなぎたいという部分は、過去3年くらいでたくさん言ってきました」

これこそが中央突破に拘る最大の理由である。これはザッケローニが目指すサイドアタックとかなりズレているのがわかる。では、本田は間違っていたのか?
いや、そうではない。何故なら、攻撃を仕掛けること=相手に攻撃の機会を与えることになるからだ。


本田の言う繋ぐサッカーは、コートジボワールに押し潰されてしまった。ギリシャ戦では、遠藤、香川の繋ぐ意識が有効打を潰してしまった。コロンビア戦では相手を押し込めること、ザッケローニが一番したかったコンセプトの下、戦った。その結果、砕け散った。両者は間違ってなかったのだ。アプローチを間違えただけなのだ。日本の繋ぐためのテクニックは確かに世界基準でも高いものを誇っている。だが何のために繋ぐか、どうして繋ぐのか?といった目的が伴わなければ、何の意味もない。ボールを繋ぐことが目的であってはならない。ボールをポゼッションするのはゲームをコントロール手段の1つなのだ。コートジボワール戦のように、無謀にも中央を切り崩しにいくのは愚の骨頂である。だからこその遠藤投入だったのだ。ボールを保持し、ゲームをコントロールしたいザッケローニの意図がハッキリと出ていた。だが、時既に遅し。日本はゲームをコントロールできず、敗北へと向かっていく。

では、ザッケローニがしたことは無駄だったのか?僕はそうは思わない。彼が行ったのは、日本代表のサッカーの時間を進めることだったのだから。ボールを奪った後の縦の意識、サイドからの組み立て、コンパクトな守備組織。最新とは言えなくても、ヨーロッパの戦術の基本といってもいい。日本のヨーロッパ化には成功したと言ってもいいだろう。彼は間違えたわけではない。ただ、全てを変えることが出来なかっただけなのだ。それをわかっているからこそ、ザッケローニは恨み節を残さず、日本を去っていった。涙を浮かべ、イタリアに帰っていく彼の頭には何が浮かんだのだろうか。
慌てなくてもいい。少しずつ、少しずつ進歩すればいい。この敗退は失敗だったと捉えられるかもしれない。しかし、4年間、全てを費やしたからこそ、完成されたからこそ、見えてくるものもあるはずだ。だからこそ、最後にザッケローニに感謝の言葉を捧げたい。本当にありがとうと。
日本のサッカーはまだこれからだ。ようやくスタートラインにたったところなのだ。